9月

数字の並び
西暦、月、日、(日本暦)、北緯、東経、マグニチュード

[ ]内の数字は、今村・飯田による津波の規模を示す。


1923/9/1 (大正 12) 35.1N 139.5E M7.9 関東南部
「関東大地震」
東京で観測した最大振幅は14〜20cmであった.地震後火災が発生し被害を大きくした.全体で死者・不明者は14万2千名余に上り,家屋の全半壊25万4千棟余,焼失44万7千棟余であった.山崩れ・崖崩れが多かった.房総方面・神奈川南部は隆起し,東京付近以西・神奈川北方は沈下した.相模湾の海底は小田原−布良線以北は隆起し,東京付近以西・神奈川北方は沈下した.相模湾の海底は小田原−布良線以北は隆起,南は沈下した.関東沿岸に津波が襲来し,波高は熱海で12m,相浜で9.3mなどであった. [2]
(参考)
34.86N, 140.31E, d=, Strike=290, Dip=34, Rake=162, L=130km, W=70km, U=210cm.

1596/9/4 (慶長 1 閏7 12) 33.3N 131.6E M7.0 豊後
7月3日より前震があり,閏7月11日から多発してこの日大地震が発生した.高崎山などが崩れた.海水が引いた後大津波が来襲し,別府湾沿岸で被害が発生し.大分などで家屋がほとんど流出した.「爪生島」(大分の北にあった沖ノ浜とされる)の80%が陥没し,死者708名という. [2]

1596/9/5 (慶長 1 閏7 13) 34.65N 135.6E M7.5 畿内
京都では三条より伏見の間で被害が最も多く,伏見城天守が大破し,石垣が崩れて圧死者約500名余りであった.諸寺・民家の倒潰も多く,死傷者が多数でた.堺では死者600名余であった.奈良・大阪・神戸でも被害が多かった.余震が翌年4月まで続いた.

1943/9/10 (昭和 18) 35.5N 134.1E M7.2 鳥取付近
「鳥取地震」
鳥取市を中心に被害が大きく,死者1083名,家屋全壊7485棟,半壊6158棟であった.鹿野断層(長さ8km),吉岡断層(長さ4.5km)を生じた.地割れ・地変が多かった.
(参考)
35.44N, 134.00E, d=0, Strike=80, Dip=90, Rake=180, L=33km, W=13km, U=250cm.

1984/9/14 (昭和 59) 35.8N 137.6E M6.8 長野県西部
「昭和59年長野県西部地震」
王滝村に大きな被害をもたらした.具体的には、死者29名,傷者10名,建物全壊・流失14棟,半壊73棟、 一部破損565棟,道路損壊258ケ所などであった.死者及び建物流出は主として王滝川・濁川の流域などに発生した大規模な崖崩れと土石流によるものである.
(参考)
35.83N, 137.62E, d=0, Strike=251, Dip=85, Rake=180, L=12km, W=8km, U=100cm.

1498/9/20 (明応 7/8/25) 34.0N 138.0E M8.2〜8.4 * 東海道全般
紀伊から房総にかけての海岸と甲斐で振動大きかったが,震害はそれほどでもなかった.津波が紀伊から房総の海岸を襲い,伊勢大湊で家屋流失1千戸,溺死者5千名,伊勢・志摩で溺死者1万名,静岡県志太郡で流死者2万6千などの被害がでた.南海トラフ沿いの巨大地震とみられる. [3]
(参考)
34.30N, 139.47E, d=1, Strike=242, Dip=30, Rake=109, L=220km, W=80km, U=800cm.

1931/9/21 (昭和 6) 36.2N 139.2E M6.9 埼玉県西部
「西埼玉地震」
死者16名,家屋全壊207棟などの被害があった.
(参考)
36.17N, 139.13E, d=1, Strike=106, Dip=80, Rake=355, L=20km, W=10km, U=100cm.